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札所15番 母巣山 少林寺

所在地
住所:埼玉県秩父市番場町7−9

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所十五番 母巣山 蔵福寺(少林寺)の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が 記述されています。
湯尾峠の奇談
近江国堅田の商人、越前国へ行て湯尾峠を通りけるに、怪者十余人、たがいに物語りするを聞に、今年江州 の人種を尽さんと思ひしに、定朝めば十一面の像を作りて防ぎしゆへ、そのことならず、是より東国におもむかん といへば、一人が言よう、若又その観音を東国に移さばいかがすべしといへば、その時は吾輩日本には住まわれず、 あないまいましき定朝がなと私語をかの商人聞、これこを疫神ならんと大いに恐れて、国へ皈りて、いそぎ定朝 にかくと告ければ、坂本の地にある尊像を商人に授けて、是を東国に持行て、諸人の疫難を救うべしとあれば、 急ぎ東国に持下りしに、當所佛意に叶ひし霊験あるによって、此地に安置せんことを願へば、領主より俄に 堂舎建立ありて、疫難もまぬかれ、永く尊き霊場とはなれり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳」が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝」 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻」(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻」(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、觀音寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第十五番 母巣山蔵福寺(御堂五間四面南向)
本尊十一面觀音 立像御長一尺二寸五分 定朝作
當寺本尊は、其始近江國坂本に坐せしを、同國堅田の商人守り奉り、此地に來て安置しける。其來由を尋 るに往古江州に疫疾大に流行、牛馬に至る迄其災いを脱れず。一國の憂上下の悲嘆、上古にも斯の如き例 を知ずと云あへり。定朝深く是を愍み丹心に祈て觀音を彫刻し奉、國中の人民に拜ませけるに、旱に雨を 得たる如、病者悉く快然たり。理成哉、十一面觀音は能熱病を治し給ふの誓有て、瓶水を持て給へり。泰 澄大師帝都に於て疱瘡流行し時、此尊の秘法を修し給へば、國中の民夭死を免れたり。南都二月堂の牛 王にも、南無頂上佛面除疫病と云へり。瘴煙消除の本尊なる事、是等を考へて知るべし。仁壽殿の御本 尊も十一面の像なる由、定珍抄に見へたり。其頃堅田の商人、越前の國へ行て湯尾峠を通けるに、其姿 いと奇怪なる者十餘人通けるが、其物語するを聞に、今歳は江州の人種を盡さんと謀しに、定朝が十一 面の像を作て防しに依てかなわず、是より東の方に至らばやと云。一人が曰、吾も左は思へど、若亦彼 觀音を東國に移して結縁せば如何せん、吾黨は高麗大唐へや漂泊べき、あな心憂き業也けるとつぶやき 通る。商人是を聞て大に怖畏して本國へ立皈、國民に告ぐ。定朝則此像を商人に授て、速に東國へ赴き 有縁の地に安置すべしてと命ぜらる。商人則此像を負て東國に至り、此處に知音の者有て尋問ける折か ら、此母巣の森に至て負たる本尊盤石を荷へるが如、さては此處ぞ有縁の境成らめと、知音の里人に語 れば、里人曰、此境は圓通大士有縁の地にて數ヶ處の霊場郡中に羅列せり、最此處安置すべき處ならん と。則此事を領主に訟へければ、領主随喜して御堂を造立して永く此地に止め奉れり。此處に尼が池、 柳島、若獅子山など云處有、何れも故有地名也。中にも尼が池は河伯年々人を害しけるが、尼の形に化 して本尊を拜し上天せし舊跡也とぞ。


母巣山少林寺
 札所十五番 母巣山少林寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
 市指定史跡 札所十五番
   母巣山 少林寺
 十五番札所は、もと秩父神社の傍にあった蔵福寺でしたが、 明治維新の際廃寺となりこの少林寺が札所をうけついだ ものです。
 本堂は入母屋造りで、前は千鳥破風つきの向拝をふして総体 を漆喰込めで洋風が加味されております。
 本尊は十一面観世音です。境内には明治汁七年の秩父事件 に殉職した窪田、青木両警部補の墓もここにあります。
 その昔、近江賢田の商人、湯尾峠をとおりし折、 怪者数人語り合うをきくと「今年は江州に疫病流行させんとしたが、 定朝の十一面観音に阻まれてそのことならず、東に行き彼の地を荒さん」 とさては疫神ならんと恐れ、定朝自作の十一面像を授かり、仏意の霊験 によりこの地に堂を建立し祭りたために疫難を免れた という縁起があります。
          昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

少林寺の由来


少林寺の本堂


少林寺の本堂の近接写真


少林寺の地蔵堂。


少林寺のお堂。


少林寺の十三重石塔。


少林寺の境内の観世音菩薩。


少林寺の境内の秩父事件殉職者の記念碑。


 最終更新日時: 2011年8月25日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.