右の図は、下記の資料より引用した秩父札所十六番無量山西光寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が
記述されています。
圓比丘
當寺の住僧圓比丘、一夜月を感じていたりしに、ふしぎなるかな、あたりの草むらより、幽然と老婆の姿あらわれ
出て、我は古へ優婆夷なりしが、貪欲甚重の報によって、阿鼻獄に堕し、それよりさまざまに生きかわり死に
かわれどもその業いまだ尽きず、吾子孫にしかじかの者あれば、これを彼等に告げて、吾菩提を弔わせ給へ。
又當寺へやがて霊験あらたなる観音乃像をみちびけば、何卒その像にむかひて、吾冥福をいのり悪趣を転じて
楽國におもむかしめよといひ終わりて、其儘姿は失ぬ。圓比丘称名念佛して、子孫の者へもつげて弔ひたるに、
果たして遠からずに、他方より観音の霊像来りたるは、かの幽魂のみちびきし者ならん。今の本尊則是なり。
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