右の図は、下記の資料より引用した秩父札所十七番実正山定林寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
|
右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が
記述されています。
壬生の良門の臣林太郎定元
東國無双の勇士、壬生の良門の忠臣定元は、主の剛悪を諌めて、家財を没収せられ、当所に知音あれば遙々
ここに来りしところ、其者は、はや失ぬと聞て当惑このうへなく、余儀なくその邉の家にたどりて、
労れを休らいけるうち、妻は長途の労れに身の行きさきをあんじてや、終に身まかり、定元かなしみにたへず
やありけん。三日へだちて共に草葉の露と消て、跡に三歳の子を遺しけるが、空照といふ沙門それを深く
あわれみて養ひ育て、よき武士に仕へさせんことを観音に祈りければ、ふしぎとある日、良門の狩に出たるに出合い、
これはしかじかなる者の子といへば、良門嘆息して吾、
忠臣の定元を失ふことを後に悔みぬ、今より彼を林源太良元と名付て旧領を授け、父の功を賞すなりと命じ、
両人を館に連れて厚くもてなし、自ら法華経を書写して、定元夫婦の菩提の為、その塚の傍に一宇を建て、
定元の姓名をかたどりて則定林寺とす。その後観音を安置して、順禮の霊地とはなれり。
|
|
|