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札所17番 実正山 定林寺

所在地
住所:埼玉県秩父市桜木町21−3

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所十七番実正山定林寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が 記述されています。
壬生の良門の臣林太郎定元
東國無双の勇士、壬生の良門の忠臣定元は、主の剛悪を諌めて、家財を没収せられ、当所に知音あれば遙々 ここに来りしところ、其者は、はや失ぬと聞て当惑このうへなく、余儀なくその邉の家にたどりて、 労れを休らいけるうち、妻は長途の労れに身の行きさきをあんじてや、終に身まかり、定元かなしみにたへず やありけん。三日へだちて共に草葉の露と消て、跡に三歳の子を遺しけるが、空照といふ沙門それを深く あわれみて養ひ育て、よき武士に仕へさせんことを観音に祈りければ、ふしぎとある日、良門の狩に出たるに出合い、 これはしかじかなる者の子といへば、良門嘆息して吾、 忠臣の定元を失ふことを後に悔みぬ、今より彼を林源太良元と名付て旧領を授け、父の功を賞すなりと命じ、 両人を館に連れて厚くもてなし、自ら法華経を書写して、定元夫婦の菩提の為、その塚の傍に一宇を建て、 定元の姓名をかたどりて則定林寺とす。その後観音を安置して、順禮の霊地とはなれり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳」が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝」 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻」(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻」(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、定林寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第十七番 定林寺 (御堂三間四面南向)
本尊十一面觀音 立像御長一尺六寸 
當寺開闢の來由は、徃昔壬生の良門とて東國に双なき英雄有、其性剛強にして慈心なく、殺害せらるゝ者 多く、國民にも家臣にも事に觸、時にのぞんでは情なきふるまいのみありければ、家臣林太郎定元と云 者頻に諌てやまず、良門甚怒て定元を放逐し、其領する處の財産を没収す。忠言耳に逆ふ習ひ今にはじめ ぬ事ながら、湯武は諤々を以て昌へ、桀紂は唯々を以て亡ぶ。忠良の臣國を去て侫者時を得たり。良門の 家運風前の燈の如し。定元は古郷を離て當所に知音ありしかば、遙々此里に至て知れる人を尋ぬるに、 其人は某年某月日空しくなりて跡吊ふ人もなしと答ふ。定元限なく憂、其邊に旅舎を求め 暫く労を休め けるに、其妻長途の疲にや一朝の露と消へぬ。哀情膓を断ども、泣々一株の木の下に埋め、自も遯世せ ばやと思へども、三歳の嬰兒あれば心ひかれてせんすべなく、日頃の勇気も弓折矢盡で泣あかしけるが 程なく病の床に臥て妻と日をへだつる事三日にして、同く道の邊の艸葉の露と成ぬ。哀さ言ん方なし。爰 に空照と云沙門有、此嬰兒旅舎に孤となる、人として誰か是を愍まざらんや、吾佛弟子と成て何ぞ是を 見て只にやまんと。墨の衣の袖を覆ひ、とかくして生育ぬ。月日の過る事白駒の隙を行が如し。此兒巳に 成童に及で仕へを求む。空照是を供なひ、關東に仕ふべき家を尋るに、宿世の縁にや良門田獵に出で、此兒 と空照が道の傍に立るを見て、招て此兒が相皃凡人ならず、沙門吾に得させよと云。空照が曰公の姓名 如何。答曰壬生の良門と云。空照掌を拍て曰、奇成哉此皃は是君に仕へて、程なく忠言を盡せし林の太 郎定元が子なりと、具に始終を語る。良門大に感じ、則空照とともに屋形にたづさへ皈り、自童子の首 服を加へ、林源太良元と名付、父が舊領を授け、空照が生育の巧を賞し、恩祿山の如しと雖も敢て受 ず、某出家の身也、財寶望む處にあらず、願くば公慈心にして物を害せず、民を済恵を厚くし、收處を 少し散ずる處を多し給へ、是愚僧が願也と云ければ、良門感じて侫臣を遠ざけ忠良を賞し、自ら法花經 を金字に書寫し、定元夫婦の菩提の為 彼塚の邊宮路の里に一宇を建て、定元が姓名を以て定林寺と號 す。觀世音の霊像は後年佛の告に依て安置す。世俗林寺と云は、定元が姓氏なるを以てなり。


実正山定林寺
 札所十七番、 実正山定林寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
 市指定史跡 札所十七番
   実正山 定林寺
 この札所は四間四面の簡素で均整のとれた堂です。 内陣は古風な阿弥陀堂のように念仏回廊が回っています。
 本尊は十一面観世音立像で、像高五十五糎の寄木造り、願主武州国 郡法院元暁の銘があり、文禄二年癸丑三月二十三日開眼の墨書があります。
 梵鐘は、日本百番観音霊場の本尊とご詠歌を鋳出した珍しいもので、工芸品 として昭和三十九年三月県指定の文化財になっております。
 又、安政、明治の徳行家、井上如常の父青岳の描いた狩野風な絵の掲額も あります。
 縁起には、壬生の良門の忠臣林太郎定元は、主の無道を諫めかえって家財を 没収され、当地に来て没しました。 その遺子空然はこの地に養われ成人後、父の菩提のため当寺を建立したとあります。
      昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

定林寺の由来。


定林寺の本堂。


定林寺の本堂の近接図。


定林寺の本堂の天井。


定林寺の本堂の縁起図。


定林寺の鐘つき堂。


定林寺の鐘つき堂の説明。


定林寺の地蔵尊。


 最終更新日時: 2011年8月21日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.