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札所20番 法王山 岩之上堂

所在地
住所:埼玉県秩父市大字寺尾2169

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所二十番法王山岩之上堂の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画と霊場の縁起にまつわる逸話が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる 挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の上部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
寺尾村の孝子
當山は、白河院の御建立にして、遙下に荒川の水、藍のごとく渦まきてながれ、絶頂は峨々として、その風景 言葉に尽しがたし。
霊験の多きなかに、この寺尾村の者、老たる母を、川むかいの宮路という所におきて、朝夕に見まいけるに、或時、 ふと病いのよしを告げ來たれば、急ぎ行んとこの麓の渕に来たりしところ、折しも大雨なかばにて、俄に水まして 歩行わたりすること叶はず、とやせん角やせんと心あせるうち、水は弥増りするばかりなれば、仮令命を捨るまでも、 母の安否を知らずにやにはと、既に渡らんとする所へ、見馴ざる童子、舟に棹さして是に乗れといへば、夢のごとくに 悦びて岸に上り、御身は何處の者と聞けば、我はあの岩の上乃者なり、汝が孝心を憐みて渡すなり、母も兼て我を 信ず、疾々ゆけといふしたに、舟は失て跡なければ、扨は観音にましませしかと、岩の上を伏し拜みて、急ぎ母に 見し所、最早悩みも愈ければしかじかと物語れば、ともに利益を信仰して、一生供養をもなしけるとぞ。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、岩の上について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第二十番 岩の上(御堂四間四面東向)
本尊聖觀音 立像御長二尺二寸 聖徳太子御作
當寺は人皇七十二代白河院の詔に依て建立有し霊場也。然るに應仁の頃より當郡も里人皆離散し神社に は朝清めする祝子も無、佛閣に香花を供する法師も住せず、棟折壁穿ぬれど修理する人しなければ、果 は白浪の住家になりて、御帳以下荘巌悉く奪去てうたてしきさま多かりしき中に、此御堂も悉破却せられ、 本尊耳岩の上に建置ければ、適此地を過る者此有さまを見て涙を流さずと云事なし。其頃の人なべて岩 の上の觀音と申そめて、今も左は云事になん有ける。されば其頃の事とかや、此あたりに住ける男の老 たる母の宮路と云處に有を、晨夕に顧てまめやかに仕へけるが、或時例より夙めて出たちける。この麓 に吊にしあふ荒川とていとおそろしき淵有。水少なき時は渡りもしつ、折から雨いと強く降出て水漲て渡 べうもなし。暫く河の邊に立てかなた此方とせし處に、容顔美麗なる童子來て汝老母を思ふ事せつ也、 さぞ心うからん、吾舟を以て渡べし疾乗べしと小船に棹さし、此男を向の岸にたやすく渡しければ、此 男悦の余に何心無乗しが、さるにても是程の洪水に舟を出し難なく越してたべし、足下はそも如何なる 人にて御座と問ければ、吾はあれなる岩の上に住めるが、老たる親に仕て怠らぬ孝を感じて渡つ、今よ り此川の徃來安かるべし、老たる母餘の齢幾もなければ、彌孝を盡すべし、吾汝に限らず此地巡禮の輩 にも孝の心深からん者にしあらば、吾必其路次の難を救べし、吾を念ぜん者は先能其親に仕へよと、夕 波の汀の巌に登給ふと見へしが、行方なく成給ひぬ。是かならず岩の上の觀世音なるべしと御跡を伏 拜、老母に此由を語て共感涙を催し、後年發心して此尊を供養し奉りける。其後年經て北條氏邦當堂を建 立し、荘厳善盡し美盡し給ふとかや。此岩下に乳水場とて有、此處に一人の孀有、心やさしく慈悲深か りし女成けれ共、宿世いかなる報にや有けん貧苦にせまり嬰児を抱へながら有徳の家の乳母と成て、己 吾子の餓れ共乳無ければ與ふべき様もなく、心を苦しめけるに依ていとゞ乳も絶々なれば、今は早其主 人も暇を出すべしとぞ云あへりける。吾子の日々に疲たるを見るに付て、身の業障の程を思つゞけ、此 岩の上に詣で、本尊を拜し泣々申しけるは此世の果報はつたなくとも、未來は必ず西方に生せしめ給へ と、我子の小き手を取て乳房の上に合掌せさせ、一心に稱吊し、水底に沉んと飛入らんとせしに、誰と も上知、後よりやよしばしと呼聲して、汝乳とぼしく己が子を養がたしと嘆の餘に、母子此處に死せん とす、吾見に上忍、必死する事なかれ、此岩の滴を呑べし、必定汝が本意を遂と云。をどろきて顧ば更 に其人の有處を知ず。あら上思議や是凡人に非じ、先教に任せてんと岩下に下て、苔の滴をしぼりて呑 に、其乳房忽に張出、涌出る程に嬉さ限りなく、主人の家に走り皈て此事を語る。主人始終を聞て甚感 じ、初の如く乳母として、共に岩の上に詣て拜謝しけるとぞ。是より里人此處を乳水場と云。今も乳なき 婦人、此水を朊して験有事、此郡中に隠なき事なり。


法王山岩之上堂
 札所二十番、法王山岩之上堂の由来については、下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
市指定史跡 札所二十番
  法王山 岩之上堂
 この札所は三間四面方形造りで他の堂における指折りの建築で、 延宝初年、内田家先代、内田武左衛門尉政勝の再建によるものと いわれています。
 現在の堂は江戸中期の造営と思われますが、元禄年間に内陣の 補修、宝永年間に彫刻の補修を経てきたもので、唐模様系統の 建築で優秀な造りとされております。 岩の上堂の吊の如く、この地は荒川西岸の崖上にあって本尊は 聖観世音立像で高さ七一糎、寄木漆箔、藤原時代の 作と言われ、市指定有形文化財になっています。
 昔、人皇七十二代白河院の勅によって建立された荘厳な堂であった といわれ、応仁の頃から次第にすたれ、本尊のみ岩の上に雨に さらされた時もあったといわれ幾多の伝説もあります。 札所にまつわる孝子話、乳水場の霊験も縁起とされております。
 内陣には見事な春日厨子の形式による厨子があって三十三身と 日天、月天像、風雷神像などの像がはられ、札所の中でもすぐ れたものと共に貴重なものです。
         昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

岩之上堂の由来。


岩之上堂の本堂。


岩之上堂の本堂。


岩之上堂の本堂の近接写真。


岩之上堂の縁起図。


岩之上堂の石仏。


岩之上堂の乳水場。荒川西岸の巨大な岩塊の浅い横穴。


岩之上堂の乳水場伝説由来。


岩之上堂の紅葉。


 最終更新日時: 2011年8月10日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.