右の図は、下記の資料より引用した秩父札所二十一番 矢の堂 要光山 観音寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が
記述されています。
八幡宮の神鏑
當所は原、八幡宮の社地にて、行基菩薩來たりけるとき、八幡宮勅して、観音の像を神木もて作られしむ、
茲において、この邉の邪神悪魔ども、佛地となれば吾々が住む所なしと大いに怒りて、各々得物を携えて
虚空を轟かし火を降らして暴わわたりければ、八幡宮武甲山におもむきて玉ひて、荒振神々をうながし
玉ひて、邪神どもを追いしめ給ふ時に、八幡宮の放ち玉ふ御矢、一々魔族をつらぬきて茲に落ちたるをもって、
矢の堂と号け、今に霊験あらたなることまゝあり。
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