右の図は、下記の資料より引用した秩父札所二十二番 童堂 西陽山(華台山) 栄福寺(永福寺)の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が
記述されています。
讃州の人化犬
當山、むかしはこの奥にありて、花臺山といひしが、延喜十五年疱瘡流行し時、観音の託宣によって、當所に移し
ければ、童子等が疱瘡疾に愈、その後も童子の病いを祈るに、愈ざる者なきゆえ、童子堂といへり。
昔讃州に有徳の農家ありしが、慳貪吝嗇なれば、或時、飢たる行脚の僧来りて、食を乞ども少しも施さず、糠ある
をみて、これを乞どもあたへず、余儀なくもって一升をもとめ、門前の犬の器に入れて犬を呼びければ、此家の
寵愛の伜、犬のごとき声を発して走り来たりて、これを喰ううちに、さながら犬のごとき面となる。父母おどろきて、
僧を拜して罪を悔がゆえ、僧その因果を示してこの童子堂に祈れとおしえて去ぬ。これによってその父この犬を
牽て、四国西国坂東の霊場を順拜して秩父に至り、當寺に詣て現罰を祈念しければ、三七日を経て、元の身となりしは、
不測の霊験なり。
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