右の図は、下記の資料より引用した秩父札所二十三番松風山音楽寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が
記述されています。
畠山基国の家来 内山源蔵
當山は、慈覚大師此処に堂宇を建て給ふ時、余多の小男鹿來って、道の案内をせしゆへ小鹿坂といへり。
誠に絶景の地にて、霊験も又あまたあるなかに、畠山基国の家来、内山源蔵は観音をよく信じける時に、
大内介義弘の討手を、基国命ぜられたれば、源蔵も出陣の役にあたり、武門の面目とはいいながら、
七十にちかき老母に離るゝことを深くなげきければ、老母はこれをいさめていうよう、この守佛は
秩父音樂寺の御影なり。これを懐中して母をおもふときは南無大慈大悲と唱へよ、必ず勝利あるべしと
渡しければ、よろこびて兜のうちにおさめ出陣せし処、この守のおかげにや、危き矢さき剣先をのがれ、
終に義弘敗軍におよび、基国勝利を得て凱陣のうへにて、源蔵は功成り名をとげて身を退き、母もろとも
に出家となりて、観音を供養せしに、なお霊験を蒙れりとなり。
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