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札所29番 笹戸山 長泉院

所在地
住所:埼玉県秩父郡荒川村上田野557

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所二十九番 笹の戸 見目山(笹戸山) 長泉院の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
龍女
人皇四十四代元正天皇の御時、此山の麓の淵より龍女現じて、當山の絶頂へ夜な夜な竜燈を捧ぐるものから、 諸人はあやしみ又は尊みて、必ずこの峯に霊佛あるらんと渇仰しけるに、星霜をへて十余人の順禮きたりて 此山の案内をさせしに、一つの岩屋の口に小笹生い茂りて、さながら戸ざすがごとくなれば、衆僧達押し開き て見れば観音の像巍々として立玉ふ。則今の本尊これなり。
十余人の順礼は、熊野権現をはじめとして、同行は貴き権化にましませり。猶後年にいたりて當山の住持静山 和尚、本尊の霊験にて命たすかりたること、圓通伝にくわしければここに贅せず。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、長泉院について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第二十九番 見目山長泉院(御堂五間四面東向)
本尊聖觀音 立像御長一寸二分 行基菩薩御作
當山笹の戸本尊の來由を尋奉るに、人王四十四代元正天皇の御宇、此山の麓の深淵より龍女出現して、 當山の絶頂に夜々龍燈を捧ぐ。里人奇異の事也と集見て、是必此岑に霊佛現ひしなるべしと、渇仰 の思を為と雖も、元來此山徃古より未だ曾て人の到れる事なければ、唯猿猴鼫鼠の類ならで行通を路も なし。然に星霜數百年を經て、其姿凡僧とは見へざりし巡禮十餘人郡中を巡らせ給ひ、此麓の里人を招 き、此岑は無双の霊地觀音有縁の峯也、汝等此里に住で此岑に登らざるは、合浦に住して殊を上知と云 べし、吾案内すべし來て霊地を拜すべしと。各里人の先にたちて鳥獣も通じ難かりし行路、忽ち平坦を 行が如く、已にして絶頂に至り、其地を眺望すれば、東南岑そびへて岩石空を凌ぎ、無心にして岫を出 る白雲は、宛轉たる五須彌の白亳相と觀ずべく、西北は岩峙碧漂藍に染、紺目澄清、四大海の佛眼の 觀をもなしつべし。岩竇有り、洞口に小笹生しげりて鎖が如し。僧衆手にでに押開き給へば、洞中に觀 音の像巍々として立給へり。先達の僧里人を招き給ひ、是はこれ観音の化身たる慈恵僧正の彫刻なれば、 則生身の觀世音也。此岩屋徃古より龍燈の奇瑞有しも、今此尊の現來し給ふ霊地成によれり。尚此上の 巌を拜せよと教へさせ給ふ。里人仰で見に一丈有餘の盤石、此窟の上に蓋へり、那羅延神の所為に非ば、 人倫上通の絶頂に誰が此盤石を以て、かくの如為やと上歎はなし。各則至り見れば、面善圓浄満月の 如く、金色身浄山王の如き阿彌陀如來の像坐す。先達の老僧示て曰、是則本師如來にて御座す。本尊の 上にまします事は觀音頂戴冠中住の意也。殊更信敬し奉れ。夫巡禮に十種の得益有、一に曰福壽増長、二 に曰子孫長久、三に曰衆人愛敬、四に曰所求必得、五に曰衆病悉除、六に曰身體堅固、七に曰家宅永安、 八に曰出入神護、九に曰先亡得脱、十に曰則身成佛、以上十種の功徳有、一度巡禮せし輩、若吾が廣前 に詣ば吾階を下て其人を拜せん、此石の牌は永く此處に止めて参詣せし者に拜せしむべしと。笈の内よ り二つの石を取出し里人に授け給ひ、吾は是熊野の神也、同行は寛和上皇の御霊、白河院の御霊、其外 權化の衆會也、疑を生ぜず信仰の志をこたらざれと、十有餘の神霊權化一陣の風とともに飛去給ひぬ。 里人感歎して一宇を造立し、本尊を安置し奉り、阿彌陀佛を以て奥の院の本尊として今現にまします。 此時當山の形容忽変じ、熊野三山の風景を此處に見が如し。熊野榧、熊野杉など吊付る大木、今地に枝 葉繁りて、徃古の上思議を當時に示す。亦八鬼山と云有、此處に八鬼御堂と云るあり。其餘奇石怪岩、 吊木異艸、悉くかぞへ難し。郡中無双の霊地なり。


笹戸山長泉院
 札所二十九番、笹戸山長泉院の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
秩父札所二九番長泉院
           村指定史跡

 曹洞宗の寺院で、開山は正暦元年(九九0)平安時代中期である。
 無住の観音堂であったが元亀二年(一五七一)に日野沢(皆野町)大通院より 和尚を招聘、以降曹洞宗に列して寺院としての面目を得た。
 堂宇はその後何度も火災に遭ったが、現在の本堂は場所を 移し、天保四年(一八三三)に建てられたものである。
 日本有数の石札が残ることから石札堂とも呼ばれ、本堂 左側の竹林も寺院のたたずまいを際立たせている。

         荒川村教育委員会

長泉院の由来


長泉院の参道。


長泉院の本堂。


長泉院の縁起図。龍女 渕より龍女現われ龍燈を捧げ十余人の巡礼を案内し岩屋の中より聖観世音像を見出し御堂を建てゝ安置せられた。


長泉院の秋葉三尺坊大権現。


長泉院のおねがい地蔵尊。


長泉院の観世音菩薩。


 最終更新日時: 2011年8月25日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.