右の図は、下記の資料より引用した秩父札所三十一番鷲窟山観音院の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が
記述されています。
秩父重忠臣 本多次郎親常
秩父の重忠霊夢の告によって、當山に田獵をせしに、遙かの梢に鷲の巣に篭れるを見つけて、親常に命じて射さしめしに、
其矢一本としてあだ矢なく當るといえども、みなはね反えるがゆえ、重忠ふしぎに思ひて、その巣を取りおろさせて見ければ、
巣のうちに聖観音の尊像れいれいとして在せしかば、霊夢を感得して郷民にこれを拜さすれば、古へ當山に寺院これありて、
行基の刻せし観音の霊像ありしが、承平五年相馬の将門の兵乱に国中の神社佛閣廃壊に及びしと、古老の物語これあれば
ある。有がたやふしぎや是こそその尊像にましませりというをもて、重忠いよいよ信じて急ぎ御堂を建立してより重忠の一門
残らず帰依しければ、其霊験また鏡にむかうが如くなりしとぞ。當山の奥の院に重忠の馬繋、親常の矢の跡などという旧跡
あげてかぞへがたし。
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