右の図は、下記の資料より引用した秩父札所三十三番 小坂下 延命山 菊水寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が
記述されています。
楠 正成
當寺、昔は今の御堂より辰巳の方五丁ばかり隔ちて八人峠といふ所にあり、いつの頃か八人の賊
住みたるがゆえ吊とすという。此の盗人終に行基の化益にあづかりて僧となる。その後一人の僧来りて、
今の場へ御堂を移して長寿の霊験をうく。
楠正成は普ねく観音を信じけるなかにも、當寺は菊水寺と号せば、吾が家の紋に縁あるをもって、殊に
信じ常に遥拜して武運を祈りしとぞ。以つて赤坂の城に篭りしは俄かのことなれば、兵糧つきて計策にて、
城を落ちるせつ、正成ただ一人寄手に紛れ落ち行くとき、長崎四郎左エ門の馬屋の前を忍びて通るを、
敵これを見付けて、何者なれば役所の前を案内もなく通ると咎めければ、某は大将の御内の者といって
足ばやに行過ぎければあやしき者なり、取り迯すなと、追手のもの矢ごろ近く射つけたる矢、正成の臂に
あたれど痛みを知らず、其場を辛く免れしが、後日肌身離さぬ観音経をひらき見れば、一心称吊の二句の
あいだに、矢の根立て居たるとはふしぎの霊験なり。
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