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札所34番 日沢山 水潜寺

所在地
住所:埼玉県秩父郡皆野町日野沢3522

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所三十四番日沢山水潜寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
札立峠
天長元年、東國大旱魃にて五穀は勿論、人畜草木も助かるべき法も、手を盡しけれども雨降らず、 然る処當山にふしぎの僧一人来りて、土民に向ひて、雨を祈らば、澍甘露法雨と書きたる札を立て、 観音を信心せよとさとしければ、教えの如くして祈りけるに、三日目に其丈六尺余の法師、蓑笠を 着て山の上の岩に笈をおろし、杖をもて岩を突ば、忽ち水湧出て滝のごとく流るれば、里人ら喜び て是を吞み、彼法師を敬いければ、吾六十余州を巡りて此霊地に至る。此所百番順礼の結願所とすれば、 今茲に西国をかたどりて阿弥陀をおき、坂東をかたどりて東方の薬師をおき、此観音をおきて、則百番 となる。吾笈摺を紊むるのち、必ず熊野権現をはじめ、あまたの権現来るがゆえ、信心おこたる事なかれ。 今ぞ雨降るというより早く失給う。間もなく法雨忽ち降りて、衆生の命助かりければ弥弥尊びぬ。札立峠 の吊も茲に始るといふなり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、水潜寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。

第三十四番 日澤山水潜寺(御堂六間四面西向)
本尊千手觀音 傳教大師御作
當山開基の原始を尋に、昔時天長元年、東國大に旱して金石流、土山焦、草木涸て枯野の如く、鳥獣も 喘ぎ苦しむ 此山下の民雨を乞へども甲斐なく、岩碎大地さけていとおそろし。然るに僧教て曰、澍に 甘露法雨と札に書て所々に建て、観世音に祈ば必ず其験有べしと云。里人悦で教の如く所々に甘露法雨の 文を書て建てたり。札たて峠と云は此旧跡なり。斯て後、第三日にあたる晨、身の長六尺餘の法師、蓑笠を着し木履をはき、 大雨を凌ぐ儲事ことしき出立哉と、目をそばめかゝる大旱にそげたる法師の有様やと笑罵れども、此僧 かへり見ず峯に登る事飛ぶが如く、山上の石上に笈を下し、三尊の佛像を出し、永く此地に止り給ひ、化 縁を東國に施し給へ、當所水涸て民大に渇す、救はずんば有べからずと、柱杖を以て岩石を突に、水涌 出瀧の如し。是を見て山下の民驚來此泉を飲に其味清く美也、各悦で如清涼池と唱へて拜す。僧の曰、 吾六十餘州を巡て今此霊地に至る、此處順禮所願成就の地也、吾笈摺を脱て此處に紊め置べし、是より 後数十の甲子を経て、熊野権現余多の権化と共に來て、亦此地に笈摺を脱置給はん、此本尊阿弥陀如来 薬師佛を左右に安置する事は、弥陀は西方の教主、是を西國三十三所に表し、薬師如来は東方の化主、 是を坂東にかたどる、此地の三十四所とゝもに百番順禮の結願所とすべし、亦汝等が願の儘に大雨降來 るべし、早く此尊像を掩べしと、里民集て茅荊押刈て則時に本尊を掩ひ奉る。時に黒雲満天にはびこり、 雷鼓掣電雨滂沛と降り下て車軸を洗ふ、民悦で是佛力にあらずして何ぞ此甘澤を蒙らんと、手の舞足の 踏處をしらず。時に旅僧示て曰、此三尊は傳教大師の彫刻也、必ず後世霊瑞多かるべし、厚く敬ひ奉れ と、よくよく教諭して、笈取て肩に掛、麓をさして下る事飛鳥のかけるが如く、終に其行處をしらず。果 して其後文暦年中、異僧十餘輩郡中を巡禮し給ひ、此山に登り各笈摺を脱置て去給ひぬ。當山の住侶麓 の郷民、悉く集会して是こそ古より聞傳へし事有、熊野大権現にておわしませ、此笈摺を神體とし此處に 祭るべしと、則石の櫃に紊め巡禮の守護神と崇奉、當山の奥の院に鎮座て永く當山の護法と仰奉る。其 後代々當郡の領主、近國の上下、尊信し奉り、殿堂悉く成就し、三十四處の結願成就満足の霊場となれ り。


日沢山水潜寺
 札所三十四番、日沢山水潜寺の由来については、境内の案内板には 次のように記述されています。。
秩父札所第三十四番 日沢山 水潜寺
 この札所は、秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺として、巡礼者 が打ち留めの札と笈摺を紊めた寺です。
 観音堂は、大きな流れ向拝をつけた六間四面方形造りで、文政十一年(1828年)の建築で あります。内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を廻し、内陣外陣の境には格 子戸を以て仕切り、その上部に飛天像その他の極彩色彫刻を入れ、組物は出組で格天井を うけ、鏡板には円形の輪郭をとり、花鳥の様々が画かれています。
 本尊は、一木造り室町時代の作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来、 坂東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来がまつられ、日本百観音結願寺の特殊性を出しています。 堂内には大日如来の胎内仏で初期鋳造の阿弥陀如来、享保十八年諸国信者の寄進による鋳造子育観音 など、境内には百観音結願堂、仏足堂をはじめ、七観音、三十三観音、六地蔵などがまつられています。
 観音堂前には、百観音宝前のお砂を紊めたお砂踏みがあり、この上で三体の御本尊を拝むことにより、百観音 巡礼の功徳が得られると信じられています。また、観音堂の傍らの崖下に、清浄長命水を湧出する寺吊のおこり 水くぐりの岩屋があり、札所巡礼を終えた人々は、ここで再生儀礼の胎内くぐりをし、長命水をいただき、笈摺を 紊め心身共に清浄になって俗世の生活に帰ったと言われています。
   皆野町教育委員会

水潜寺の由来


水潜寺の境内図


札所三十四番の水潜寺入り口。「日本百観音結願所《の石柱。左側の坂道に沿って三十三体の観音像があります。


水潜寺の六地蔵


水潜寺の六地蔵の由来


水潜寺の本堂


水潜寺の本堂の接近像


水潜寺の讃仏堂


水潜寺の日本百観音結願堂


水潜寺の百観音功徳車


水潜寺の仏足堂


水潜寺の七観音


水潜寺の七観音の由来


水潜寺の水くぐりの岩屋


水潜寺の水くぐりの長命水


水潜寺の水かけ地蔵


水潜寺の万葉歌碑


水潜寺の観音様


水潜寺の三十三観音の一つの千手観音


水潜寺の三十三観音


水潜寺の「日本百番霊場巡礼記念碑《


 最終更新日時: 2011年8月1日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.