右の図は、下記の資料より引用した秩父札所三十四番日沢山水潜寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が
記述されています。
札立峠
天長元年、東國大旱魃にて五穀は勿論、人畜草木も助かるべき法も、手を盡しけれども雨降らず、
然る処當山にふしぎの僧一人来りて、土民に向ひて、雨を祈らば、澍甘露法雨と書きたる札を立て、
観音を信心せよとさとしければ、教えの如くして祈りけるに、三日目に其丈六尺余の法師、蓑笠を
着て山の上の岩に笈をおろし、杖をもて岩を突ば、忽ち水湧出て滝のごとく流るれば、里人ら喜び
て是を吞み、彼法師を敬いければ、吾六十余州を巡りて此霊地に至る。此所百番順礼の結願所とすれば、
今茲に西国をかたどりて阿弥陀をおき、坂東をかたどりて東方の薬師をおき、此観音をおきて、則百番
となる。吾笈摺を紊むるのち、必ず熊野権現をはじめ、あまたの権現来るがゆえ、信心おこたる事なかれ。
今ぞ雨降るというより早く失給う。間もなく法雨忽ち降りて、衆生の命助かりければ弥弥尊びぬ。札立峠
の吊も茲に始るといふなり。
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