右の図は、下記の資料より引用した秩父札所四番高谷山金昌寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が
記述されています。
荒木丹下
此所に住む荒木丹下といふ者は、慳貪邪智因果乃道理を知らねば、鰥寡孤独を恵まずたゞ悪行をのみ業とせしが、
一時一人の順礼門前にたたずみて手のうちを乞いければ、姦やわが晝寝を妨げし、いで手のうちを報謝せんと
立出で、順礼の柄杓を奪い取って、吾が手のうちは是こうぞと打擲けど順礼はいかるいろもなく、施しなくば
言葉にても済べきに、手にも足ざる者をかく打擲くとは情けなしといふに、丹下いよいよ怒りて、そも我が國は
神國にて一粒の米だに神の宝なるを、佛徒の者にあに施さんや。とくとく立去れと攻れば、正なきことを言な。
人は神の性なれば、吾もそのうちなるを、左程神を尊もの、吾を打擲するいわれなし。天子は民の
父母には有ずや、施しうけざれば我れ飢死せん。佛は自他平等と説き給へりと言。夫よりいちいち利を詰
ければ、丹下一言もなく、発起して此観世音を深く信じて、大善人となりたるは上思議の霊験なり。
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