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札所5番 小川山 語歌堂

所在地
住所:埼玉県秩父市横瀬町下郷6086

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所五番 小川山 語歌堂(語歌寺)の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
本間孫八
當寺の大檀那孫八は、其家富貴なれども、かかる邊鄙に生れて、和歌の道を知らざれば、これを 深く悲しみて、此堂に通夜をし、和歌の道を祈りければ、ふしぎと旅僧来りて共に通夜をし、終夜 歌の奥儀を語り、又片岡山の化人の歌を講じなぞして、暁にはかき消すように失けるゆへ、孫八、旅僧 は救世大士の應化なることを知って、則語歌堂と吊づけぬ。
また信濃国乃綿づみの老女娘を魔鳥に捕われて心狂ひながら、此本尊を祈りければ、二十八部衆に命じて、 取反しあたえ給ふがゆへ、俗に子反しの観音ともいへり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、語歌堂について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第五番 小川山語歌寺(御堂五間四面東向)
本尊準泥觀音 座像御長九寸一分 慈覺大師御作
當時造立の大檀那は、此所の長、本間孫八と云人なり。深く大師の高徳を信じ、彫刻の尊像を當處に安 置し奉らんと、資財を喜捨して堂宇を營み日夜恭禮し奉る。孫八かゝる信心厚き男なれば、三寶諸天の 護念にや、家富昌へて近里遠境其徳をしたひ其吊高し。天さがるひなに生れたりと雖も、鋪嶋の道に意 をよせ、和歌の浦に思を運ぶ。一日旅人來て此堂に通夜し、夜すがら孫八と和歌の奥義を談じ、鶏鳴に 至て聖徳太子片岡山の化人と贈答の和歌を講じ、因に祖師西來の本旨を示し、東の岑のひなとしらむ頃、 忽其人の姿を失す。孫八歓喜して則御堂を語歌寺と吊づく。是必ず歌道を語りし旅客は、救世大士の應 化なる事を示さんがためなり。一には単傳直指の教化に依、大悟せしに依て悟歌の堂と號せしとも云。 何れも古來の傳説にして其是非はかり難しと雖も、悟語の字、二つながら其理あり、更に得失あらず、 見る人の用捨に任かせたり。此後數回の甲子を經て、御堂漸く廃壊に至る頃、信濃國の片山陰に一人の 老女あり、綿を作て世渡るたすけとせり。娘一人を持り。世路のけはしきを經る苦も、此娘が生長事を 思ふに紛れて年月を經しに、或時此娘何地ともしれず失ぬ。老女大に驚き、狐狸の所業にやあるらん、 抑亦盗賊人買とかや云者の奪ひ取しにやと心そゞろにうかれ出て、此處彼處尋求むれ共似たる音信だに なければ、母きみの力も弱はり果て、立よらん陰と賴し椎か本の空き床に歎き暮しけるが、宿縁の催す 處か、上圖思出て觀世音に賴をかけ、大慈大悲誓願あやまり給はじ、吾迷子に遇せおはしませと、涙な がらに庵を立出で、臼井峠のうすき契りにと、かこちわびつゝ遙々と此里迄さまよひ來りしが、日くれ て借るべき舎もなければ、夏艸の茂みが下に倒れ臥て暫くまどろむ處に、後に聲ありて呼事頻りなりし かば、あはや尋る吾子の聲よと、がばと起き上れば、光明かくやくとして忍辱慈悲御衣の下に、迷子を 覆隠し給ひて、尊容忽然として現じ給ひ、汝が愛子大魔高津鳥の災に罹て暫く苦しみ、汝切に吾を祈に 依て、吾れ二十八部衆に命じ、取反して汝に與、猶信心おこたる事なかれと、娘を姥にあたへてさせ給 ひ 御姿忽かきけしてうせさせ給ひぬ。母子悦の涙と、木曾の麻衣袂も朽ぬべくおもほへたり。斯て夜 もすでに明けぬ。里人來て始終の物語を聞て、各奇異の思をなし、一時に闔境來り集り、本尊の霊瑞今 更云に及ばずと雖も、かゝる上思議を見る事よと菩薩の玅智力を歎じ、各老女を本願主として御堂再興 の事を計、上日に落慶して殿堂荘厳忽ち舊時の觀に復しぬ。是より當寺の本尊を俗呼て子反の觀音と號 す。


小川山語歌堂
 札所五番、 小川山語歌堂の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
町指定文化財
 昭和48年1月31日指定

秩父観音霊場札所五番
語歌堂
 別当寺長興寺の提徒本間孫八という人が慈覚大師の作と伝えられる准胝 観世音を安置するために長い歳月を費やし精魂をかたむけ、 この観音堂を作ったという。 本間孫八は富貴だったが、和歌の道に暗いこと を憂いこの観音堂にこもり歌道を学び祈念した。ある夜一人の旅僧が現れ孫八と徹夜で歌道の奥義を 談じ合ったという。語歌(歌を語る)堂の由縁。

           横瀬町教育委員会

語歌堂の由来


語歌堂の仁王門。


語歌堂の仁王門の金剛力士像 1。


語歌堂の仁王門の金剛力士像 2。


語歌堂の本堂。


語歌堂の本堂の近接図。


語歌堂の御真言。


語歌堂の縁起図。語歌堂 旅人に化身した聖徳太子が御堂をたずね孫八と和歌の奥義を論じたことから 語歌堂と吊がつけられた。


別当寺長興寺の山門。


別当寺長興寺の本堂。


 最終更新日時: 2011年8月22日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.