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札所6番 向陽山 卜雲寺

所在地
住所:埼玉県秩父市横瀬町苅米1430 

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所六番 荻の堂 向陽山 卜雲寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
禪客
當山の本尊は行基の作にて、徃昔、纔の草庵に安置しけるが、山聳え谷深きがゆへ、鳥獣の外 は春秋の彼岸にも、来る者もなかりしが、爰に一人の禪客ありて、六年が間草庵に禅定して、有無の工夫 をいたしける処、ある日誰とも知らず、一首の和歌を詠ず。その歌に
 はつ秋に風吹きむすぶ荻の堂
 宿仮り世の夢ぞ覚める
禪客この一首を聞いて、忽ち多年工夫せし無常迅速の理をさとり、その声の処を尋ね見れば、一株の荻の 下に、その詠歌の短冊あるによって、これぞ誠に観音の霊感ならんと、そこに小堂を営むがゆへ荻の 堂といへり。後の人種々の霊験を蒙りたるがゆへ、今の堂舎を建立して繁盛の地とはなれり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、卜雲寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第六番 向陽山卜雲寺(御堂五間四面東向)
本尊聖觀音 立像御長一寸二分 行基菩薩御作
此霊像は徃時わづかなる艸庵に安置し奉りし。其地や山聳谷深くして、春來れども客の到る事なく、秋 至れども月に叫ぶ猿の聲のみして、松菊結で三径の跡を埋み、誠に孤禪面壁の佳境なり。一人の禪客あ つて多年此地に居をしめ、禪定を出ざる事玆に六春秋、日夜只疑團を抱て工夫するのみ。一日庭前に向 て公案を工夫する處に、誰ともしれず一首の和歌を詠ず。其歌に曰、
 初秋に風吹むすふ荻の堂宿假の世の夢ぞさめける
斯詠吟する事四五反なり。禪客此歌を聞く時、忽ち多年の疑晴れて佛語祖語一時に透徹す。誠に觀自在 尊も耳根得道の大士、聞思修より三昧に入給へり。我今此詠歌を聞て、疑氷忽に解て豁達自在を得る事、 併大士の霊感なりと、件の歌の聞へたる庭前一株の荻の下に至て見れば、先に聞へたる和歌一紙の短冊 に書けるを得たり。禪客歉喜踊躍して則是を紊めて、此荻の下露うちはらひて、形の如くの小堂を作り て、霊像を安置し奉りしぞ、此寺の艸創なりける。其後霊感あまた重なれば、年月を經るに従ひ、殿堂 周備して今日の繁栄に至る。されば此禪客和歌の吟聲を感じて大悟せし事、其人にあらずんば知るべか らずと雖も、暫く詠歌の意を明さば、初秋に風吹むすぶと荻に云かけたるは、古歌に、引よせて結べば 柴の庵なりと讀ると同意なり。能因の、假の世に亦旅ねして假枕夢の中にも夢を見る哉と詠じ、近世宗 祇法師の發句に、世に經るもしばし時雨の舊り哉とありても、時世各殊なれども同意の詠なり。達人の 詞、神佛の御心に一致せる處貴からずや。初秋の風そよぐ荻の葉にしばし露のおけるより、仇なる人間 世なりと無常迅速の理を示し給ふ詠歌なれば、能々吟じ味はへば、必假の世の妄夢驚覺る時節あるべし、 常に忘るべからず。無常迅速の理は誰も知たる事ながら、誠にしかと心がくる程の人まれなり。新千載 集に雅成親王、夢の世を餘所になしては驚けど心の覺あかつきもなしと讀給ひしぞ最殊勝なる御心ばへ なれ。西行の曰く、あはれ深き御法を知る迄の心は侍らずとも、無常を恒に忘れぬ程の志を佛のつげ給 はりて、吾身をさし放て思をとゞめて後の世のつとゝし侍らばやと、亦鎭西の聖光師の浄土宗の大意は、 念死念佛にありとの給へるも等く、是無常を觀ぜよとの教へなり。貴となく賤となく、何れも風吹結ぶ 荻の葉に宿かる身ぞかし。穴かしこ。暫も忘る事なかれ。


向陽山卜雲寺
 札所六番、 向陽山卜雲寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
町指定文化財
 昭和48年1月31日指定

秩父観音霊場札所六番
卜雲寺
 当寺の本尊は古代末期より発生した山岳信仰の流れをくむ蔵王権現社 の本尊として長く武甲山頂にあり、その後山岳信仰の推移とともに 萩野堂に移され長享年間(1487頃)の札所再編により卜雲寺管理となった。 当寺と武甲山との関係は札所成立期の歴史的背景として貴重である。 この寺の寺宝として清涼式釈迦像、縁起絵巻等があり、観音堂は明治9年 火災で全焼現在の建物はその後のものである。

           横瀬町教育委員会

卜雲寺の由来


卜雲寺の本堂手前の石段。


卜雲寺の本堂。


卜雲寺の縁起図。禅客 一人の禅客来りて六年の間和歌の工夫せしがある日誰とも知らぬ一首の和歌を詠じ 禅客この一首を聞き忽ち無常
迅速の理を悟り其の声の処を尋ね見れば一株の荻の下に詠歌の短冊あり。誠に 観音の霊感なりと多くの人々霊験を蒙り今の荻ノ堂を建立
繁昌の地となれり。



卜雲寺の薬師堂。


卜雲寺の六地蔵。


卜雲寺の聖観世音菩薩像。


卜雲寺のねがい地蔵尊。


 最終更新日時: 2011年8月28日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.