右の図は、下記の資料より引用した秩父札所七番青苔山法長寺の霊験記の錦絵です。
上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
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右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が
記述されています。
花園左衛門督長臣某
承平の頃、當郡末野の郷、花園の城主某左衛門督の長臣某は、放逸邪悪の者なりしが、相馬将門
の謀逆に与して、天慶三年官軍に攻られて山林にしのひしが終に死す。爰に一僧當寺の観音
を携えて、其辺に兵乱を避けて居たるがゆへ、長臣の骸を埋む。其後平穏になりて、迯去し
土民等みなみな住家に皈がゆへ、かの長臣の妻子も縁家に皈りて、夫の行方を捜せしに、かの
僧死したることを語れば、ことに悲しみその塚に時々詣でけるうち、縁家の牛、犢を産ぬ。
この犢此妻子を慕うがゆへ、一日かの塚へ牽連しに、塚の前に膝まづきて涙を流し、人語を
もって我は汝が夫なり。悪心の報によってかゝる牛となれり。何卒
妻子ともに出家となりて、この観音を供養せば、必ず得脱せんというよりすぐに死せり。
是によってかの妻子即座に髪をおろして尼となり、夫の悪報を観音に祈りしかば、終に畜生を
転じて聖衆に生まれしはふしぎの霊験なり。
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